浜田省吾 泣ける名曲18選
浜田省吾の名曲
浜田省吾というアーティストの楽曲には、時代を超えて心に響くメッセージを持つ歌詞が魅力の名曲が数多くあります。
今回はそんな名曲の中から、心に深く沁みる歌詞が特徴的で、自分自身やこれまでの人生を振り返り見つめ直す時に聞くたび自然と涙が溢れてくるような、そんな楽曲をご紹介します。
多くの人と関わり様々な経験をする中で自分自身が成長し人生のステージが変わる中で、変わらずに大切にしていきたいメッセージがきっと見つかりますので、お気に入りの一曲をぜひ探してみてください。
泣ける名曲18選
花火
「花火」は2005年7月6日に発売された浜田省吾の16枚目のアルバム「My First Love」8曲目に収録されています。
よき父親になろうとするも、どうしても上手くいかなかった主人公をテーマとしており、哀愁の中に綺麗な花火の情景が浮かぶ、夏の夜に聴きたくなる名曲です。
家族への愛情を持ちながらも、自分の人生を生きたいという願いを選んだ主人公の心境が静かに語られ、人生について深く考えたくなる、そんなメッセージが魅力です。
丘の上の愛
「丘の上の愛」は1980年10月21日に発売された浜田省吾6枚目のアルバム「Home Bound」の3曲目に収録されています。
その後、1983年の「SAND CASTLE」や2000年のベストアルバムにリアレンジされ収録されるなどファンの間でも人気の曲です。
曲のテーマは「愛とお金」であり、富裕層の象徴である高台に住む男の元へ行く女性と、その女性に恋する貧しい学生である青年が描かれます。
愛とお金という普遍的なテーマを扱っており、映画のようなストーリー性と相まって歌詞の持つメッセージが心に響く名曲です。
本来愛は無料で手に入り、逆にいくら金を積んでも買えないものであるという、誰しもが大人になるにつれいつの間にか見えなくなった事実を美しい音楽と詩によって突きつけてくる点が魅力であり、愛とは何か、お金とは何かについて考え、自分なりの大切なものを見つけたいと思える名曲です。
夏の終り
「夏の終り」は1990年6月21日発表の浜田省吾12枚目のアルバム「誰がために鐘は鳴る」のラストである11曲目に収録されている楽曲です。
R&R STARを目指し走り続けてきたものの、様々な傷や痛みを受け、もう辞めてしまおうかと思い悩んでいる主人公が描かれます。
一瞬で引き込まれる爽やかな音楽とセンチメンタルな歌詞が相まって、省吾さんらしさが全面に出ている名曲です。
夢見て進んだ先で、人を傷つけ何が残るのか。
大学を中退して音楽という長い旅に出た浜田省吾自身を歌っているとも思える楽曲であり、誰もが人生を重ねる中で心のどこかに抱えている後悔や葛藤を表現している歌詞が魅力です。
J.BOY
1986年9月4日発表の浜田省吾10枚目のアルバム「J.BOY」を代表する楽曲。
浜田省吾にとって、オリコンチャートで1位を獲得した初のアルバムであり、第28回レコード大賞で優秀アルバム賞に選出された記念すべきアルバムです。
J.BOYとは「Japanese BOY」の略で、JリーグもJRも無い時代に、J〇〇という造語を作った初の事例とされています。
当時の世相や社会背景をテーマにしながらも、時が経つにつれて鋭さを増して深く心に突き刺さる楽曲であり、日本人全員に今こそ聞いてほしい名曲です。
失われた20年とも30年とも言われる現在の日本の状況を的確に言い表しており、高度経済成長期末期の日本の状況と将来の日本という国を憂いながらも、一人ひとりが理想を掲げ自分の生き様を見せつけて前に進むしか無い、という強烈なメッセージを放つ「J.BOY」は、聴くたびに勇気をもらえる正に名曲です。
I am a father
「I am a father」は、2005年7月6日に発売された浜田省吾の16枚目のアルバム「My First Love」7曲目に収録されており、家族を守るために日々を生きる父親の姿をテーマとし、全父親への応援歌とも言える楽曲です。
子供が親に思いを馳せ、親が子供に思いを馳せる等、双方向から「父親」について向き合うきっかけとなる名曲となっています。
家族が明日も幸せに生きていくため、子供たちが明るい未来の日本を背負って生きていけるように、自分のことを顧みず前を見て生きる父親が主人公として描かれており、「誰もが戦っている」という当たり前過ぎて見落としがちな大切なことを気づかせてくれる点が魅力であり、真っ直ぐな家族へ向けた歌であり、聴く人の心に刺さる名曲です。
日はまた昇る
「日はまた昇る」は、浜田省吾の楽曲の中で「人生」をテーマにした壮大な楽曲です。
美しく人生に対する深い洞察に溢れた歌詞は聴く人の心に刺さり、ファンの中でも人気が高くコンサートで歌われることも多い名曲です。
リリースから時が経ち、失われた20年とも30年とも言われる現代日本においてもなお色褪せることなく大切なメッセージを届け続けてくれる名曲であり、「全ての結末は最初から決まっている」という運命論的な考えをベースとしながらも、決まっていようといまいと先のことが分からない以上、未来は明るいと信じ今を楽しんで生きるというメッセージを持っています。
人生は最終的に何を成したかではなく、何かを成し遂げるために生きたその過程にこそ意味がある、というメッセージから、歳を重ねたからこそ見える人生への深い洞察を感じられます。
片想い
「片想い」は省吾さんを代表するバラードの一つであり、男女問わず片想いをしたことのある人の心にあまりにも響くセンチメンタルな歌詞が魅力です。
少年の恋の歌のようでありながら、大人の女性が愛を求める歌のようにも聞こえ、既婚者の結ばれない恋のようにも感じられます。
ファンの間でも、片想いがテーマとしているのは男性の恋か、女性の恋か、という話がしばしば取り上げられます。
それだけ聴く人に「これは自分の歌だ」と感じさせる魅力があり、歌詞が完成されていることは勿論ですが、省吾さんの深く優しい歌声と相まって心に沁みる名曲となっています。
頭では分かっていても心がついていかず、人の気持ちは思い通りにならない。
そんな、片想いや失恋の中で経験する感情や言葉にならない想いがあまりにもリアルに切り取られており、発売から長い時間が経った今なおファンに愛されており、多くの人に聴いてほしい名曲となっています。
もう一つの土曜日
「もう一つの土曜日」も「片想い」と同じく省吾さんを代表するバラードであり、愛する女性が別の誰かのことを想っており、それが必ずしも幸せな恋愛でないことが示唆されます。
結ばれない恋愛とそこに対する葛藤を描き、二人の関係性や詳細を深く描写しないことによって、さまざまな解釈ができるという魅力があります。
単なる片想いの歌のようにも、不倫や公にできない恋を歌っているようにも感じられ、巧みな情景・心理描写によって聴く人が「これは自分の物語だ」と思える点にも大きな特徴があります。
聴く人一人一人が自分の経験やその時々に抱いた感情を呼び起こされ、自分なりの解釈や意味を持つ楽曲として大切に聴き続けられる点と、年齢や人生のステージによって自分にとっての意味合いが変わってくる点もまた魅力的です。
家路
「家路」は、人生をテーマとした壮大な楽曲であり、人生においてたどり着くべき場所、目指すべき目標へと到達するための道について歌っている、幅広い世代の人に聞いてほしい名曲です。
聴く人それぞれに人生があるように、聴く人それぞれにとって特別な意味合いを持ち、異なる解釈ができる点が魅力です。
いつか人生に終わりが来ることを知りながらそれでも自分の人生を生きる、正に省吾さんらしいメッセージが詰まった歌詞となっています。
根本的に孤独な存在である人間にとって、家とは最も安心し安らげる場所であり、帰るべき場所があればそこに向かって歩みを進めることができる。
だからこそ自分にとって大切なことは何かを見つめ生きることが大切だと、そう思わせてくれる歌詞が魅力であり、時が経ってもまた何度でも立ち返りたくなる名曲です。
初秋
「初秋」は、1993年9月6日発売の省吾さん14枚目のアルバム『その永遠の一秒に 〜The Moment Of The Moment〜』のラストとなる9曲目に収録され、後に2003年9月26日発売のセルフカバーアルバム『初秋』のタイトルとしても登場する楽曲です。
人生における初秋とも言える40〜50代を迎えた主人公の視点から綴られる歌詞を通じて、愛する人との別れや悲しみ、人生における時間の使い方について様々なことを考えるきっかけをくれる名曲です。
誰しもがいつか向き合うこととなる「永遠の別れ」をテーマとしており、家族や恋人への愛、別れの悲しみや切なさ、それらと向き合い一瞬一瞬の時間を丁寧に生きる大切さと向き合う、哀愁のある楽曲となっています。
人生においては、自分にとって大切な人ほど身近で、その本当の価値や大切さに気付かないことが多くあります。
そして、失った時にその大きさや大切さに気づいても、やり直すことはできません。
いつも側にあるだけにその大切さに気づかず、終わりの瞬間を意識して初めてその本当の価値に気づくとはなんとも皮肉ですが、そうであるからこそいつか別れが訪れることから目を逸らさず、共に過ごす時間を大切に過ごすべきだと思わせてくれる歌詞が魅力です。
ラストショー
「ラストショー」は若者の恋愛と失恋をテーマとしており、情景が目に浮かぶような歌詞とまるで映画のようなそのストーリーが魅力です。
失恋の痛手は、それを経験した誰もが通る道でありながら、世界で自分だけが苦しんでいるように感じられ、その痛みはどうやっても忘れ去ることができないくらい深く重いものです。
どれだけ失恋の痛手から立ち直ろうとしても、胸の奥の痛みは絶えず、幸せだった頃の記憶は絶え間なく浮かび、いつもどこかにその姿を探している。
そうして、恋人との幸せな記憶と一人になってしまった現実を行き来し、過ぎ去った過去が戻らないことと、目の前に孤独な現実があることを繰り返し繰り返し認識し、徐々に現実を受け入れ失恋の痛みを乗り越えていきます。
誰もが胸に抱えたことのある痛みと立ち直るまでの苦しさを、車を走らせる主人公のストーリーと重ね合わせて歌詞に落とし込み、一般の映画のようにまとめ上げているこの「ラストショー」は、失恋を経験した誰もが共感し深く心に刺さる部分がある名曲です。
陽のあたる場所
「陽のあたる場所」は、1981年3月に発表された不倫をテーマとするバラードであり、省吾さん7枚目のアルバム「愛の世代の前に」の先行シングルでもあります。
センチメンタルなラブソングでありながら、自分にとっての「陽のあたる場所」を見つけることの大切さをテーマとしており、自らがありのままでいられる場所を探す大切さを気づかせてくれます。
歌のストーリーを通じ、本当の意味での「陽のあたる場所」を追い求める大切さと難しさを伝えており、歌詞とストーリーの中にあるリアリティと優しさが、省吾さんの楽曲の魅力を際立たせており、聞くたびに心に響く名曲です。
青空のゆくえ
「青空のゆくえ」は、省吾さんのアルバムの中で傑作との呼び声も高く、省吾さん自身も「あまりにも出来が良かった為にその後のアルバム作成に思い悩んだ」と発言している1996年発売のアルバム「青空の扉」のラストを飾る11曲目に収録されている楽曲です。
正にアルバムのタイトル曲と言える歌詞であり、多くの人生経験を経て痛みや喜びを知り、自分の感情や人との関係性を客観的に見つめる視点を持っている大人の恋愛をテーマとしており、年齢を重ねるごとに深く心に響く歌詞は人生を通して何度でも聴きたくなる魅力に溢れています。
別れが来ることを覚悟しながらも、共に過ごす時間を大切に人生を生きるというメッセージと同様に、若い頃の無邪気な勢いや燃えるような感情に身を任せた恋愛ではなく、恋が魔法でありいつか解けること、痛みを伴うことを経験から知っているからこその諦めや達観からは悲観的な印象さえ受けます。
しかしその一方で、恋愛に多くの苦悩や葛藤、辛さがあることを知っていても尚相手との関係に踏み出す覚悟と愛情も感じ取ることができます。
省吾さんの他の楽曲がそうであるように、年齢を重ねるごとに歌詞のメッセージがより一層心に響くように感じられる点が魅力であり、一般的な知名度はなくとも確実に省吾さんを代表する楽曲と呼ぶに相応しいメッセージと魅力に溢れているため、性別や年代を問わず聴き続けて欲しい名曲です。
MIDNIGHT FLIGHT ひとりぼっちのクリスマスイブ
「MIDNIGHT FLIGHT」はタイトルの通りクリスマスソングであり、東京を離れる恋人と、結婚を意識しながらも引き留めることができずに葛藤し思いを巡らせる主人公の切ないラブソングとなっています。
省吾さんのラブソングに特徴的なセンチメンタルな内容でありながら、歌詞に盛り込まれたストーリーと心理描写から、自分にとっての大切なものや大切な人と過ごす時間を大切にしよう、そう思わせてくれる点が魅力です。
誰しも生きていく中で少なからず失恋や失敗の経験はあり、ハッピーエンドから失恋をテーマにしたものまで世の中にラブソングも数多くあります。
その中で、省吾さんのラブソングは失恋や喪失をテーマにしたものが多く、総じて聴く人の心に大きく響きます。
特に、自分自身が失恋をした経験がある場合や、その失恋のショックや傷跡が大きいほど胸に深く沁み入ります。
それは一重に省吾さんの紡ぐ言葉の中に普遍的な真実や感情の動きがあるからであり、聴くたびに自分にとって大切な意味を持つ楽曲となっていきます。
愛という名のもとに
「愛という名のもとに」は、1981年9月21日に発表された、省吾さん7枚目のアルバム「愛の世代の前に」3曲目に収録されている楽曲であり、喪失感と別れをテーマとする省吾さんらしいバラードです。
日々を生きる中で降り積もる違和感や理想とのギャップが大きくなり、それが無視できないほど大きくなった時、恋人やパートナーとの別れを選択した2人の物語です。
そこには何か明確な原因があったのか、それとも生き方や考え方のズレによって必然的に行き着く場所がそこだったのか、歌詞の中でそれは語られませんが、かつての幸せな生活が終わりを告げ、別れの他に答えを出せない様子のみが語られています。
幸せな生活の裏で日に日に大きくなる喪失感や哀しみの存在と、自分自身であっても自分の本当の夢や望みを知ることは難しく、時に本来の辿り着きたい場所から遠く離れてしまうというメッセージが胸に響く名曲です。
NEW YEAR’S EVE
「NEW YEAR’S EVE」は、2人の関係性の終わりをテーマとするラブソングであり、男女どちらからの視点とも取れる深みのある歌詞と、省吾さんの深く優しい声が魅力の楽曲です。
先に紹介している「青空のゆくえ」や「初秋」と同様、人が生きる中で多くの経験をし辿り着くある種運命論的とも言える諦めから出発し、それでもそれぞれの幸福を見据えて一歩踏み出すと言う点では、共通のメッセージを持っています。
その踏み出す先が別れなのか、出会いなのか、共に生きる人生なのか、それは楽曲によって異なりますが、「いつか終わりが来てしまう」という事実から目を逸らさず、綺麗事だけではない歌詞とストーリーに落とし込んでいる点が省吾さんの楽曲の独自性であり、大きな魅力と言える部分です。
いつわりの日々
世の中に恋人の別れをテーマとするラブソングは多くありますが、結婚した夫婦の別れをテーマし、その心の機微を描写した楽曲はそう多くないように思います。
この「いつわりの日々」は、正に共に暮らしている夫婦の心が離れていく過程や、出会った頃と変わってしまった互いの心をテーマとする楽曲であり、特に同じような経験をしたことのある方には大きく響く歌詞となっています。
互いに相手へ本心を隠していると言うよりは、どちらかというと「このままで良いのか」という葛藤を持ちながらも、自分自身の本心に向き合わずに日々を過ごしている、という点を指して「いつわりの日々」というタイトルがつけられています。
最初から別れを望む夫婦がいない一方で、離れた方が互いの為になる、そんな避けられない別れも確かに存在します。
傷つけ合うことは夫婦にとって良いことではありませんが、互いに深入りせずに一定以上の距離を取って暮らし、その距離がどんどん離れ、傷つけ合う悲しみがない代わりに喜びを分かち合うこともない関係では、共に寄り添って生きることはできません。
そんな生活の最中にあって、少しずつ別れの足音が近づいてくることを感じる。
そんな「いつわりの日々」のストーリーは、誰もが人生で一度は考える「結婚」に対する、リアルな側面を確かに切り取っています。
辛い時や苦しい時に自分の気持ちの拠り所となり、自分自身の葛藤や哀しみと向き合う助けとなる、そんな名曲が「いつわりの日々」であり、省吾さんのラブソングの魅力でもあるという点を実感できる名曲であり、是非とも聴いてほしい一曲です。
青の時間
「青の時間」は、1990年6月21日発表の浜田省吾12枚目のアルバム「誰がために鐘は鳴る」の4曲目に収録されており、恋愛のみならず人生における人の出会いと別れについて深く考えさせられる美しい楽曲です。
恋人とのすれ違いと別れの物語であり、哀しみと共に美しさを感じる、そんな歌詞と曲のアレンジ、そして省吾さんの歌声が魅力です。
人生の中で多くの人と出会いますが、その中で恋に落ち、或いは友人として長い付き合いになる相手がいる一方で、気がつくと疎遠になったり、明確な別れが訪れる場合も多くあります。
そして、別れる理由やきっかけは必ずしも納得のいくものではなく、その本当の原因や相手の想いすら知ることが叶わないことが大半です。
自分にとっての大切な人との関係や出会った人との繋がりを一つ一つ大切に生きていきたい、そう感じさせてくれる名曲です。
最後に
最後までお読み下さりありがとうございます。
今回は「泣ける名曲」と題して浜省のオススメ楽曲を紹介してきましたが、お気に入りの名曲は見つかりましたか?
ここでご紹介したものはほんの一部であり、他にも多くの魅力に溢れた名曲がありますので、是非お気に入りの曲や歌詞を探してみてください。
歌詞とその魅力にフォーカスしたまとめ記事や、バラードのオススメについては以下記事にありますので、よければ合わせてご一読下さい。