歌の魅力・歌詞考察

日はまた昇る 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾

tsumakawa

今回は、浜田省吾の楽曲の中で「人生」をテーマにした壮大な楽曲である「日はまた昇る」についてまとめます。

美しく人生に対する深い洞察に溢れた歌詞は聴く人の心に刺さり、ファンの中でも人気が高くコンサートで歌われることも多い名曲です。

日はまた昇る

1998年12月12日に発売された浜田省吾31枚目のシングルです。

1990年発売のアルバム「誰がために鐘は鳴る」からのリメイクである「詩人の鐘」と合わせ両A面シングルとして発売されています。

どちらも1999年という時代の変わり目を前に発売され「詩人の鐘」は1990年代の社会を憂いた楽曲であり、「日はまた昇る」はそれまでの人生を乗り越えた先にある新しい時代の到来を感じさせる楽曲となっています。

歌詞概要

https://www.uta-net.com/song/44472/

日はまた昇る」では、海の近くの丘で、人生という長い旅で出会った愛する人の面影を辿る主人公の様子が描かれます。

それなりに人生経験を積み、さまざまな苦労や苦難と出会い、それを乗り越えてきたからこそ、これからも生きている。

そんな、自分に対する楽観的な信頼や自信が表れている歌詞とメッセージが魅力です。

自分自身の存在に関わらず世の営みが続いていくという考え方は、後述するヘミングウェイの同名小説「日はまた昇る」におけるメッセージと同様です。

生きていると、毎日日が昇り沈んで、浮き沈みを繰り返しながら人生が続いていく。

しかし、仮に自分がいなくなっても地球は回り続け、世界は続いていくのかもしれない。

ここには、自分が1人の人間としてこの世界に生きている意味や人生の意義についての葛藤も見え隠れします。

後の歌詞にも繋がりますが、考えても答えの出ないことに頭を悩ませるよりも、結局は自分がどう考えるかそれこそが大切だと教えてくれています。

どれだけ困難を乗り越えても、人生で起こる出来事を見つめても、明日何が起こるか、人生がどこに向かうかは分からない。

でも、分からない将来に不安を抱くのではなく今生きているこの瞬間を大切に生きる。

それは、それまで生きてきた人生・経験が今の自分を作っていること、今この瞬間をどう生きるかの積み重ねがこの先の人生を作るということを、人生を通じて理解しているからこその考え方です。

同時に、経済が混乱し世紀末に向かって暗い空気感が蔓延する先の見えない社会にありながら、未来は見えないけれどきっとこれからもやっていける、と語りかけ励ましているようにも感じられます。

紆余曲折がある人生の中で幸せや不幸があり、いろいろな人と出会う。

自分が生きる中で多くの出来事に出会い乗り越えてきたように、出会った人もそれぞれが自分の人生と戦っている。

人それぞれに人生があり、自分がそうであるように、辛さや幸せを経験しながら生きている。

そんな当たり前でありながら忘れてしまいがちなことを思い出させてくれるメッセージが歌詞に込められており、人が生きる中で何者にでもなれること、定めた目標に向かって生き続けることを歌っています。

1つの人生としてたどり着く場所としての目標や夢、1人の人間としていつか直面する臨終の時を感じさせる歌詞からは、どんな道を選ぼうとやり直しの効かない人生の中で受け入れるしかなく、辛いことも悲しいことも乗り越えて今も生きているからこそ、抗うのではなく受け入れて楽しむことが最適だと知っている。

結局は、人生を過ごした先、つまりは臨終の間際に笑って「いい人生だった」と思えることが大切だという想いがかんじられます。

人生の夢や目標を達成できたかに関わらず死ぬ時はやってくる。

それでも、いい人生だったと笑えるように人生を楽しむしかない、過程を楽しむしかない。

先のことは分からないし、未来が明るい保証も無い。

だからこそ今この瞬間の人生に焦点をあて、強く生きるしか無い。

そんなメッセージを伝えてくれます。

歌詞の魅力 考察

ヘミングウェイの同名小説から名前の取られた「日はまた昇る

ヘミングウェイはアメリカにおける「失われた世代」を代表する作家であり、「日はまた昇る」はヘミングウェイの出世作として知られています。

アメリカにおける失われた世代(ロストジェネレーション)とは、第一次世界大戦を経て何かを失ってしまった世代という意味です。

浜田省吾は、バブル経済の破綻を経験し、先の見えない社会の中で新たな世紀に突入しようとする日本の不安や焦燥感を、アメリカにおけるロストジェネレーションと重ね合わせたのだと思います。

リリースから時が経ち、失われた20年とも30年とも言われる現代日本においてもなお色褪せることなく大切なメッセージを届け続けてくれる名曲です。

ヘミングウェイの「日はまた昇る」というタイトルには、昨日と同じ今日、今日と同じ明日のように、変わらない暗く閉塞感のある日常に対する諦めのような意味が含まれています。

しかし、浜省の「日はまた昇る」においては、「全ての結末は最初から決まっている」という運命論的な考えをベースとしながらも、決まっていようといまいと先のことが分からない以上、未来は明るいと信じ今を楽しんで生きるという意味合いを持っています。

人生は最終的に何を成したかではなく、何かを成し遂げるために生きたその過程にこそ意味がある、というメッセージを伝えています。

ここから、歳を重ねたからこそ見える人生への深い洞察を感じられます。

「詩人の鐘」で、行き過ぎた物質主義や資本主義に対し警鐘を鳴らしたように、金や資産を手にすること以外に意味はなく、それが叶わなかった人生には意味がないといった価値観に対し、そうではなく、誰でも平等に死に向かう人生の中で、選んだ人生・与えられた環境を受け入れ楽しみ、自分が満足いく人生を過ごすことができるか、ということこそが大切だと歌っています。

この楽曲が、ファンの間で強い人気を誇る名曲たる所以は、自分の人生について考え、困難に負けずに明日からも強く生きていこうと思わせてくれる、人生への応援歌となっているからだと思います。

こんなシーンで聴いて欲しい

「日はまた昇る」の魅力は人生への深い洞察に溢れた歌詞と、優しく力強い歌声にあります。

誰にでも、仕事や生活に悩んで、人生に迷う瞬間があります。

自分の力ではどうしようもなかったり、先が見えない不安や焦燥感から疲れてしまうこともあります。

自分一人で問題を抱えて悩んでしまうそんな時に、この曲の歌詞は心に深く響きます。

人生に迷った時に立ち帰ることのできる曲として、思い悩んで葛藤したり、苦しい時期を乗り越える助けとなり、明日からも強く生きていく活力をくれます。

最後に

最後までお読み下さりありがとうございます。

2000年という新たな時代の幕開けに向け、省吾さんからのメッセージが詰まった「日はまた昇る」は、聴く度に勇気をもらえる名曲です。

新しい時代、将来がどのようなものになるかは分からなくとも、結局は最後に後悔しないようその時々を楽しんで生きるしかない、というメッセージは1998年以上に先行きが見えず重たい空気のある現代において、あまりにも強く胸に響きます。

以下に「日はまた昇る」の収録アルバムをご紹介していますので、気になった方はぜひ聴いてみて下さい。

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胎教の時から浜田省吾を聴き続け、サングラスをかけて生まれた28歳。省吾さんの魅力を伝えるべくブログ執筆中。
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