紫陽花の歌 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾
紫陽花の歌
「紫陽花の歌」は省吾さんの曲の中で、梅雨の時期になると聴きたくなる曲No.1であり、名曲揃いでその完成度の高さからファンの中でも大変人気のあるアルバム「青空の扉」の5曲目に収録されています。
雨の鎌倉と湘南の情景が脳裏に浮かぶ、魅力に溢れた一曲です。
「青空の扉」は、1996年11月11日に発売された14枚目のアルバムで、ラブソングを中心に構成されており、省吾さん自身が「自分のキャリアの中で最高傑作」という程の出来のアルバムかなりの名曲揃いです。
アルバムのラストに収録され「紫陽花の歌」と同様に多くの人生経験や恋愛を経た大人の恋愛をテーマとした「青空のゆくえ」についても以下記事でまとめていますのでよければ併せてご一読下さい。
歌詞概要
https://www.uta-net.com/song/24159/
「紫陽花の歌」は、雨の降る鎌倉で落ち合う2人の男女の恋愛をテーマとしています。
相手の全てを自分のものにしたい、といった奪う恋とは違い、ありのままの相手とただ同じ時を過ごすことを望んでいる、そんな深い愛情を感じさせます。
歌詞から、公に一緒にはなれない関係性でありながらも、その気持ちが譲れない力強さを含んでいることが分かります。
溢れるばかりの愛情を与えながら、自分は何の見返りも求めない相手の優しさを感じる反面、こちらから何も与えることができない、受け取ってもらえない寂しさのようなものを感じます。
江ノ島や海を背景に、遠くを見つめる彼女から、一緒にいて横顔を見ているだけで幸せな気持ちになれる相手でありながら、二人の間には縮めることのできない距離があることが伺えます。
心も何もかも捧げる覚悟があること、二人の関係がきっとうまくいくこと、それだけの愛情があることを伝えてもなお近くて遠い距離。
共に時間を過ごして、触れ合うことはできるのに一緒になることはできない。
愛した人に別の相手がいたり、過去の辛い経験を引きずっていたり、そんな一筋縄ではいかない多くの事情や葛藤を含んだ大人の恋愛が描かれています。
歌詞の魅力考察
雨の鎌倉と湘南が眼前に広がるような情景の描写と、奥深い歌詞、切ないメロディが相まって何度でも聴きたくなる楽曲です。
互いにこれまでさまざまな恋愛を経験し、傷ついたり幸せな瞬間を繰り返しながら出会った大人の恋愛。
互いの気持ちを知りながら、愛情を注ぎながらも一緒になることはできない。
2人の間には見かけよりも大きな溝があり、少年少女の頃のように、好きだから一緒になるという答えを安易に出せないでいる。
それでも一緒にいることを願う。
そんな切なく綺麗な恋愛をテーマとした歌詞が魅力です。
人は時が経つにつれ多くのことを経験し、人生で様々なものを抱え込む中で、必ずしもハッピーエンドではなく明確に答えを出せない恋愛にも出会います。
省吾さんのラブソングは、そういった恋愛における普遍的な葛藤をメッセージとして落とし込みながら、まるでひとりひとりの人生に寄り添っているかのような印象を受ける心に深く沁みいる歌詞が本当に魅力的です。
省吾さんの楽曲において「紫陽花の歌」のように、叶わない恋への葛藤や苦悩をテーマとしたバラードである「片想い」についても以下エントリでまとめていますので、よければ合わせてご一読下さい。
片想い 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾
最後に
最後までお読み下さりありがとうございます。
この「紫陽花の歌」は、やはり雨の降る鎌倉/湘南エリアを散策しながら聴くのが個人的にオススメです。
晴れた鎌倉/湘南エリアはちょっとした旅行や外出に最適ですが、雨の日もまた違った魅力があります。
「紫陽花の歌」を聴くと、その魅力がより一層引き立ち、自分の愛する人や想いを寄せる人を大切にし共に生きていきたい、そんなことを思わせてくれます。
雨が降って外出ができない少し憂鬱な日に、雨の鎌倉に想いを馳せながら自分自身の恋愛観や人生観と向き合い、落ち着いた時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
これからも省吾さんの歌詞と曲の魅力が伝わるよう、私なりの解釈や考察をまとめていきますので、リクエストなど有ればお気軽にコメント下さい。
また、紫陽花の歌を含むアルバム「青空の扉」を以下でご紹介していますので、湘南鎌倉エリアの綺麗な景色と省吾さんの歌声と歌詞の素晴らしさに浸っていただけると嬉しいです。