悲しみは雪のように 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾
悲しみは雪のように
「悲しみは雪のように」は1981年11月21日に14枚目のシングルとして発売された、浜田省吾さんを代表する楽曲であり、ファンのみならず多くの方に愛されている言わずと知れた名曲です。
1992年に「愛という名のもとに」というフジテレビ系のドラマの主題歌として起用され人気が広がり、省吾さんのファンだけでなく多くの方により一層認知されるきっかけにもなりました。
ドラマを含めた「愛という名のもとに」と省吾さんとの関わり、魅力は以下記事にまとめていますので、よければ合わせてご一読下さい。
降り積もる悲しみを雪に喩え、愛情や人との関係性を求めながらもすれ違う人々の姿から、身近にある大切なものに気づき大切にしよう、そう思わせてくれる名曲です。
歌詞の概要
https://www.uta-net.com/song/1353/
「悲しみは雪のように」は、歌い出しと耳に残るイントロが特には有名かと思います。
歌い出しの冒頭から分かるように、自分が経験した悲しみや痛みの分だけ他者に優しくなれる、といった意味が歌詞に込められており、身近にある愛情や優しさに気づいて欲しい、という祈りのようなメッセージを感じます。
誰でも心の内に秘めている悲しみや葛藤がありながら、それを外に出すことなく他の誰かを想っている。
しかし、愛情に気づくことは難しく時にすれ違いながら人は生きていく。
それでも、自分が悲しみから学んだ優しさで誰かを想うように、自分のことを愛してくれる人が必ずいる。
時には怒りに身を任せてしまうこともあり、子供の頃は人の優しさや気付かず人を傷つけることもある。
それでも、その怒りや辛さから学んだ優しさで今度は誰かを許せる人間になって欲しい。
繋がりの中で生きる人間にとって、とても大切なことを思い出させてくれる部分であり、優しい洞察に溢れた歌詞が心に響きます。
自分の感じた悲しみの分だけ他者に優しくなれることと同様に、怒りに身を任せることなく他者を許すことができた時、本当の意味で他者に愛情を注げる。
自分の感情を見つめ、悲しみからも怒りからも目を逸らさず向き合い生きていくことで人に優しくなれ、いつか自分愛してくれる人の優しさや有り難みに気付くことが出来る。
自分の中にその優しさがあるからこそ人からの愛情や優しさに気付ける、この歌詞にはそんなメッセージが込められているように感じます。
歌詞の魅力考察
「悲しみは雪のように」の歌詞の魅力は、誰でも人に対する優しさや愛を持っており、自分の人生と戦っていることを歌っている点にあると思います。
自分だけが辛いわけではなく、悲しみは雪のように誰の心にも降り積もるものであること。
しかし、その降り積もった悲しみを見つめ乗り越えた時人に優しくなれ、それと同時に人からの優しさに気づける日が来るというメッセージが込められているように感じます。
引き込まれるようなイントロから始まり、歌詞のメッセージとも相まって雪が降る時期になるといつも聴きたくなる大好きな楽曲です。
この「悲しみは雪のように」は、母親が脳梗塞で倒れて意識不明の重体になった際に、コンサートツアー中であった省吾さんが母親の元に駆けつけることができなかった経験から作られた曲だそうです。
母親は無事に一命を取り留め、省吾さんは悲しみを乗り越えた先で他者に対して優しい気持ちになれたことに気づき、この歌詞を書いたそうです。
そういった優しさが背景にあるため、雪に喩えた悲しみをテーマにした曲でありながら、歌詞から暖かみを感じることができるのだと思います。
恋愛に限らず、誰もが自分の人生と戦っているというメッセージを伝えているという点では、「日はまた昇る」にも共通する部分があり、こちらもやはり名曲ですのでよければ合わせてご一読下さい。
日はまた昇る 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾
最後に
最後までお読み下さりありがとうございます。
ここまで魅力をご紹介してきた「悲しみは雪のように」は、すれ違いながらも自分以外の誰かに想いを寄せ、自分の人生と戦う人の姿が描かれています。
誰かのことを想いながら、或いは自分自身の人生を振り返りながら、静かな夜に聴いて歌詞に浸って頂きたい名曲です。
時を経ても尚色褪せることのない歌詞と音楽、そして省吾さんの魅力が皆様に伝わっていると嬉しいです。