夏の終り 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾
夏の終り
「夏の終り」は1990年6月21日発表の浜田省吾12枚目のアルバム「誰がために鐘は鳴る」のラストである11曲目に収録されている楽曲です。
R&R STARを目指し走り続けてきたものの、様々な傷や痛みを受け、もう辞めてしまおうかと思い悩んでいる主人公が描かれます。
一瞬で引き込まれる爽やかな音楽とセンチメンタルな歌詞が相まって、省吾さんらしさが全面に出ている名曲です。
因みに、アルバムタイトルの「誰がために鐘は鳴る」とは、アメリカの小説家でありノーベル文学賞受賞者のアーネスト・ミラー・ヘミングウェイの同名小説から取られたタイトルです。
感情的・情緒的な表現が少なく、シンプルで広い意味を持つヘミングウェイの文章は、読み手毎に異なる意味合いを持つ味わい深い作品であり、その点において省吾さんの歌詞ととても近いものがあるように感じます。
歌詞概要
https://www.uta-net.com/song/38561/
南アメリカの晩夏の風景が描写され、そこを車で走る主人公からは気ままな旅をしているような、どこか爽やかな印象を受けます。
フロントガラスから見える真っ赤な夕日が美しさと哀愁を感じさせ、人を傷つけることに疲れ静かな余生に向かって一人車を走らせる主人公の想いが印象的に描かれています。
また、神奈川大学を中退して本格的に音楽の道に進んだ自身と重ね合わせたような歌詞が魅力です。
一方で、歌詞からはこれから長く続く人生と自分のミュージシャンとしての道に少し疲れている、そんな印象さえ感じられ、引退を示唆しているような意味にも取れます。
愛してくれた人を傷つけてしまった自分に嫌気がさし、一見すると華やかな拍手とスポットライトの中にいながらも、その陰で悲しみが少しずつ大きく育っている、そんな姿が思い浮かび、賞賛と栄光の裏で満たされないものや人への罪悪感がつのり、まるで身を切るように歌い続ける中でその影が大きくなっていることを感じます。
例え全てを失ったとしても、誰かを傷つけるくらいなら独りでいることを望む。
自分の中で大きくなり続ける罪悪感や違和感を拭い去ることができず、地位や名誉を失ったとしても一人静かに暮らしてゆきたい。
とても優しく悲しい歌詞でこの「夏の終り」は締めくくられます。
歌の魅力考察
夢見て進んだ先で、人を傷つけ何が残るのか。
大学を中退して音楽という長い旅に出た浜田省吾自身を歌っているとも思えるこの曲。
す誰もが人生を重ねる中で心のどこかに抱えている後悔や葛藤を表現している歌詞から、省吾さんらしさをひしひしと感じることができる個人的にとても大好きな曲です。
「夏の終り」で締めくくられるアルバム「誰がために鐘は鳴る」が発売された頃、引退を示唆しているという噂が立ち、辞めてしまうのではないかと思ったファンも多いそうです。
それでも、省吾さんは世紀を跨いで今でも精力的に活動し名曲を生み出し続けています。
私はそんな省吾さんの姿から、ヘミングウェイの小説「誰がために鐘は鳴る」の主人公と同じく、不毛とも思える戦いに辟易するも、この美しい世界や大切な人のために戦うことに価値があると感じ再び音楽の道を歩み始めたような、そんな雰囲気を感じています。
また「誰がために鐘は鳴る」を代表するタイトル曲でもある「詩人の鐘」については、以下エントリでまとめていますので、是非合わせてご一読下さい。
最後に
最後までお読み下さりありがとうございます。
爽やかなメロディと哀愁のある歌詞で美しさと同時にどこか悲しさを感じさせる「夏の終り」は、疲れて傷ついた心に深く刺さります。
消せない過去の後悔があったり、日常に疲れて遠くに行きたいと感じた時。
自分のこれまでとこれからの人生を考える時。
そんな時にこの「夏の終り」は心に優しく語りかけ、自分の心を見つめ深く内省する助けとなると思います。
省吾さんが長いキャリアの中で、さまざまな苦難や悩みを乗り越えて書き続けてきた曲は正に名曲揃いです。
まだ聴いたことがない方も、以下にアルバム情報をご紹介していますので、是非一度聴いてみてください。