詩人の鐘 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾
今回は省吾さんの曲の中で1990年代を象徴する楽曲である「詩人の鐘」についてまとめています。
ファンの間でも人気の高い名曲であり、省吾さんらしい詩的な歌詞とストレートなメッセージが特徴となっています。
詩人の鐘
1990年6月21日発表の浜田省吾12枚目のアルバム「誰がために鐘は鳴る」の10曲目に収録されている実質的な表題曲。
バブル景気に浮かれる日本に警鐘を鳴らす曲であり、21世紀目前の1998年にリメイク/シングルカットされ「詩人の鐘/日はまた昇る」として再度発売され、ファンの間でも長年にわたり愛されている名曲です。
“1999年7の月に人類が滅亡する”というノストラダムスの大予言による陰鬱な空気と、バブル崩壊後の経済低迷が相まって日本が失意に沈む前、バブル崩壊の兆しが少しずつ見え隠れする中で、当時の日本の現状、世界の現状、行き過ぎた資本主義に傾倒する人々に向け、警鐘を鳴らす歌詞となっています。
1990年から実に30年の月日が経ちますが、全く色褪せることなく、聴き手にとって「大切なものは何か」を胸に問いかけてくるメッセージが魅力の名曲です。
歌詞概要
https://www.uta-net.com/song/11684/
「詩人の鐘」では、金融と土地売買によって無限に膨れ上がる富と、不必要にモノで溢れた社会への違和感、その裏で犠牲になる人の存在を示し、悪夢のようだと形容しています。
富裕層と一般人、先進国と途上国、何かの犠牲の上に一部の豊かな生活が支えられている。
そんな現代社会にも通じる世の構造を憂い、豊かさと引き換えに見失っているモノの存在を考えずにはいられません。
失われた20年とも30年とも言われる時代を生きる私たちの世代にあまりにも刺さる歌詞です。
このまま進めば破滅が待っている。
バブルという熱に浮かされる社会の異様さと、行き過ぎた資本主義に踊らされることへの違和感。
そうした、誰もが気付かない、気付こうとしない社会の現状と本質に目を向けるべきだと警鐘を鳴らしています。
誰もが描く理想の地(=約束の地)に突如打ち上げられた、それまで目を背けてきた違和感(=罪)の存在に気づく者、豊かさを象徴する社会の陰で犠牲になっている人の存在を憂う者。
1999年という比喩で表される時代の変わり目に向かいどう生きるべきか。
自分の人生における生き方や目指す場所について思わず考えてしまう歌詞とメッセージが魅力です。
また、自由とは名ばかりのメディアで報道されることのない弱者の声、ありもしない幻想だけを追い求めて破滅へと向かっていく社会。
血の通わない無機質な情報で満たされたメディアによって扇動されている社会の様子を鋭く切り取る歌詞が特に印象的です。
権力や富裕層が幅を利かせ、その陰で日々の生活に追われる者達。
愛する人を明るい未来へと導こうと前を向いて進む者達。
切り捨て忘れてきたものの中にある大切なことを思い出せと言われているようです。
いつしか欲望にまみれた理想の地(約束の地)で、誇りと理想を見失わない者、傷ついた人の心ををいたわる者に明るい時代が来るよう、祝福の鐘が鳴りこの「詩人の鐘」は締めくくられます。
歌詞の魅力 考察
この「詩人の鐘」の魅力を語る前に、ヘミングウェイの同名小説冒頭に記された詩「誰がために鐘は鳴る」の内容をご紹介します。
以下は、アルバムのブックレットに掲載されているジョン・ダンの詩「誰がために鐘は鳴る」を省吾さんが訳したものです。
誰も孤島ではなく
誰も自分ひとりで全てではない
ひとはみな大陸のひとかけら
本土のひとかけら
そのひと握りの土を波が来て洗えば
洗われただけの欧州の土は失われ
さながら岬が失われ
君の友人や君自身の土地が失われる
人の死もこれと同じで
自らが欠けてゆく
何故なら私もまた人類の一部だから
ゆえに問うなかれ
誰がために鐘は鳴るやと
それは君のために鳴るなればと
ジョン・ダン「死にのぞんでの祈り」浜田省吾訳
権力と富こそが絶対の社会の中にあって、その裏で虐げられ忘れ去られている人や国も人類の一欠片であり、遠く離れた自分とは関係のない別の世界の出来事ではない。
自己中心的なエゴと欲に目が眩んだ現代社会の裏で犠牲になっている人の存在は、そのまま同時に自分の身を削ることと同義だと警鐘を鳴らしています。
切り捨てる社会、自分さえ良ければいいという考えにのみに基づいて生きる人間に未来はない。
まるで現代を表しているかのような歌詞です。
物質主義で限りある資源を食い潰しつつある現代では、持続可能な社会が必要だと叫ばれて久しいですが、省吾さんはこの頃から人間の社会活動の危うさのようなものを感じとり、警鐘を鳴らしていたのだと思います。
グローバル化が進み、遠い国の戦争や混乱が自国の状況に影響し左右する現代において、この歌詞はあまりにもリアルに感じられます。
詩的な歌詞に、ストレートな想いを乗せている点が省吾さんらしさを表しており、この先も色褪せることのない名曲の1つです。
こんなシーンで聴いて欲しい
「詩人の鐘」は、バブル後の日本の状況と将来を憂いた楽曲であり、世紀末に向け社会の現状や違和感を叫び、聴く人に警鐘を鳴らしています。
そしてその内容は1990年代という時代に特有のものではなく、現在まで続く大きな流れの始まりであり、状況はより一層深刻になっている側面があります。
自分の置かれた現状や行く先に不安や疑問を抱いた時、このままでいいのかと考えてしまう時、「詩人の鐘」はきっと大切なメッセージを語りかけてきます。
「詩人の鐘」は深い洞察を伴う歌詞が魅力であり、同時に省吾さんらしいロックナンバーでもあるため、思い悩んで落ち込んだ際に明日に向かって立ち向かう原動力となってくれることと思います。
最後に
最後までお読み下さりありがとうございます。
1990年に発表された「詩人の鐘」は、世紀の変わり目が目前に迫る1998年に「日はまた昇る」という名曲と共に再度発売されます。
1999年という古い時代の終焉に向かう社会に警鐘を鳴らしながら、2000年という新たな時代の到来に希望を見出す。
そんな素晴らしい構成となっており、どちらの曲もファンの間で必ず人気の上位に入る名曲です。
以下では、アルバム「誰がために鐘は鳴る」の魅力をご紹介しています。