マイホームタウン 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾
マイホームタウン
「マイホームタウン」は、1982年11月21日に発売された浜田省吾16枚目のシングルであり、同時に発売された8枚目のアルバム「PROMISED LAND〜約束の地」の2曲目に収録されている楽曲です。
戦争が終わり、日本が豊かになり各地に新興住宅地としてニュータウンが広まっていった時代に、そこで生まれ育った主人公が、閉塞感のある街と単調で今の見出せない人生に嫌気がさし、町を出ることを夢見るという物語となっています。
そして、その物語を通じて当時の日本の抱えるメンタリティや生き方への違和感、世界情勢や経済への憂いを訴える、所謂プロテストソングです。
「J.BOY」や「MONEY」と同じく1980年台の省吾さんを代表する楽曲の一つであり、収録アルバムである「PROMISED LAND」自体も「僕と彼女と週末に」など、省吾さんの楽曲の中でファンに愛され続ける名曲を擁するアルバムとなっています。
人類愛とも言うべき壮大なテーマを扱い、省吾さんにしか表現できない詩と音楽が魅力の「僕と彼女と週末に」は以下記事でまとめていますので、良ければ合わせてご一読下さい。
アルバム「PROMISED LAND」のジャケットは「FLAMMABLE」と書かれた核弾頭とその前に立つ省吾さんという構図になっており、反核や社会への想いが読み取れます。
省吾さん自身このアルバムを「父親の棺の中に入れた」と発言しているほどの傑作であり、その中にあって力強いメッセージを放つ「マイホームタウン」は後述しますが「僕と彼女と週末に」と同様、全世代に聴いてほしい名曲となっています。
歌詞概要
https://www.uta-net.com/song/6447/
「ニュータウン」とは、1960年代〜1970年代初期に建設・入居が始まった大規模な団地であり、日本の高度成長期を象徴する町です。
工業が盛んになり、都市部へ人が移り住むことによる受け皿として日本全国に多くのニュータウンが作られました。
そんな高度経済成長の産物である「希望ヶ丘ニュータウン」から「マイホームタウン」の歌詞の物語は始まります。
大学卒業までの16年間を生まれ育ったニュータウンで過ごした主人公は、それまでの生活・人生で得たものが卒業証書或いは社会への切符という単なる「紙切れ」であり、何ら自分の人生を変え将来をより良い方向へ導いてくれるものでは無いと考えているようです。
学生時代は同じ制服を着て無意味な学業に励み、社会に出たらスーツや作業着で画一化された人生とステレオタイプな幸せのために身を粉にして働く。
そんな人生を、まるで「少しずつ死に近づいているようだ」と表現しています。
戦後から高度経済成長期を経て物質的に豊かになった一方で、モノでは満たされない「何か」が大きくなっていく。
誰しもが欲しがるモノを手に入れる、という物質的豊かさではなく、自分自身の幸福と人生の意義を見出すことを通じて精神的な豊かさを見つけ追い求めてゆく。
今になって声高に叫ばれている多様性のある生き方や個性を重んじる社会へ通じる考え方や生き様を既にこの時代の歌詞から感じ取ることのできるあたり、やはり省吾さんの先見の明と洞察力は素晴らしく、時代を超えて聴き継がれる理由がここにある気がします。
「マイホームタウン」の歌詞には、閉塞感のある街を出て、ここではないどこかで新しい人生を歩むことを夢見る主人公の想いが表されています。
閉塞感のある人生から抜け出すために街を出ることを夢見る主人公からは、自分の人生や幸せについて葛藤し苦悩する若者特有の悩みと、日本という国が抱える先行きの不透明な時代に対するどこか薄ぼんやりとした不安や危機感のようなものを読み取ることができます。
聴き手によって多くの解釈ができる部分であり、同時にとても省吾さんらしい歌詞が魅力です。
退路を絶ってどこかに向かうと決める覚悟と、それと同時に予防線を張り逃げ道を確保する生き様や、夢を追い求める一方、どこかで挫折の準備をしておくことに慣れてしまった大人達の生き方を示唆しているように感じられる歌詞から、生き方について深く考えさせられます。
そして、夢と挫折の狭間を彷徨う中で、夢も人も替えのきく存在であると勘違いしている社会、それを前提として成り立つ、人もモノも切り捨て消費する社会に対するメッセージが垣間見えます。
工業社会として全てのものを画一化し、人も人生も夢も無機質なモノとして扱う社会に対し、一人一人の人間とその想いや人生をファイルのように積み重ねて管理することなどできない、と警鐘を鳴らしています。
そして歌詞のストーリーの中で、昼間は真面目に社会人として生き、別の生き方や人生を夢見て夜ごとディスコで踊る女性の様子と、そんな女性に訪れる不吉な未来が示唆されます。
行き場のない錯綜した欲望が彼女に向いた結果なのか、それとも、町を出て物騒な都会に生きる彼女を救いたいという願いなのか、不吉な未来を振り払うかのように葛藤を露わにする主人公。
自らの人生に立ち込める暗雲を振り払うためなのか、愛する人の身に降りかかる不幸を払い除けるためなのか、街から出て自分の人生を生きたい、そう願い夢見る主人公の想いで「マイホームタウン」は締め括られます。
歌詞の意味・魅力考察
「マイホームタウン」は、高度経済成長を経てバブル経済を目前に成長を続ける日本社会と、世界経済において募りつつある不満、畏れ、危機感を個人の人生・視点から切り取った楽曲であるように思います。
社会も個人も、誰もが個人の自由な生き方や豊かな人生、持続可能な社会と平和な世界について深く議論しその必要性に気づく前、「マイホームタウン」という楽曲としてそれまでの豊かさや価値観からの脱却を訴え、「僕と彼女と週末に」という、人類愛とも取れる壮大なテーマを届ける楽曲を収めたアルバムを「約束の地」と称するアルバムと共に世間に投げかけた省吾さんの想い・願いは、時代を経た今となって、より強いリアリティとメッセージを伴って聴く人の心に響きます。
歌詞の中で言及されるファイリングされた人生とは、人をモノや歯車として捉え、画一的な規格とそこに当てはまるものを幸せと捉える社会のあり方に対する警鐘だと捉えることができ、こうしたメッセージは、より強く洗練されての地の楽曲へも受け継がれていきます。
本来存在しえない全ての人間にとって共通の画一化された幸福と豊かさ、それをメディアが煽り人々が追い求めた先に待つのは不毛な生存競争であり、「金さえあれば」と多くの大切なものを切り捨て忘れていく社会を「MONEY」で切り取り、そんな社会のあり方と行く末を案じ日本人としての生き様を「J.BOY」で問う省吾さんの楽曲には、決して忘れてはいけない大切なメッセージと祈りが込められています。
1980年代から1990年代にかけては、特に社会への批判とも取れるメッセージを持つ楽曲を多く発表してきた省吾さんですが、その裏にはやはり警察官で戦争の時代を生きた父を持つバックグラウンドが関係しているように思えます。
個人的な感想になりますが、多くの犠牲の果てに奇跡的な復興を遂げた日本にあって、豊かさと引き換えに失ったものと、これから失いつつあるものについて省吾さんは考えずにはいられなかったのかもしれません。
「PROMISEDLAND」そして「マイホームタウン」が発表されて約40年。
現在の社会と世界情勢を見ると、省吾さんの危惧した大きな流れと時代のうねりは確実に人々を蝕んでいます。
一方で、そうして結論が出た今だからこそ、省吾さんが歌詞に込めた祈りと壮大な願いを今一度噛み締めてこの名曲を聴いてほしい、そう思い改めて記事にしました。
最後に
ここまでお読み下さりありがとうございます。
「PROMISED LAND」は、「マイホームタウン」や「僕と彼女と週末に」以外にも「ロマンスブルー」や「凱旋門」など、省吾さんファンの間で長年愛される名曲が収録された名盤です。
また、曲と曲が繋がりさながら一つの楽曲として聴かせるように構成された内容は圧巻であり、是非ともアルバムを通して聴いてほしい内容となっています。
また、2011年には「The Last Weekend」をテーマとしてツアーを開催しており、その中でリアレンジされた「マイホームタウン」「僕と彼女と週末に」も非常にオススメですので、是非聴いてみて下さい。
省吾さんの楽曲には、時代を経ても尚変わらぬ魅力に溢れ、そのメッセージの持つ意味がよりリアリティを伴って大きくなる、そんな名曲が数多くあります。
今後も、省吾さんの楽曲の持つ魅力と素晴らしさを伝えられるよう歌詞をご紹介していきますので、楽しんで読んで頂けると嬉しいです。