八月の歌 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾
八月の歌
「八月の歌」は1986年9月4日に発表された浜田省吾10枚目のアルバム「J.BOY」DISK2の4曲目に収録されている楽曲です。
1人の労働者の目を通して日本が抱える問題とメンタリティを浮き彫りにし、八月と切っても切り離せない戦争について言及しながら、日本のこれまでとこれからを憂う深い歌詞に惹きつけられます。
現代日本を語るにあたって八月は特別な意味を持つ月であり、被ばく2世である省吾さんの楽曲には戦争をテーマにしたものも多くあります。
そのどれもが深く心に刺さる歌詞で、是非とも聴いていただきたいものばかりですので、後半ではその他のおすすめの楽曲もご紹介します。
歌詞の概要
https://www.uta-net.com/song/38562/
砂浜で遊ぶ女の子たちと対照的に、暑い中仕事に励む主人公。
誰がどれだけ豊かであろうと、自分にとってはテレビの中のフィクションのようなもので目の前の現実は厳しい。
そんな現実に直面する主人公の姿と生活が描かれます。
社会の豊かさとは裏腹に満たされない心や空虚さという点ではアルバムのタイトル曲でもある「J.BOY」と通じるものがあり、日本の抱える課題への問題意識や危機感を如実に表しています。
現実は厳しく、この国の将来に希望を持てない中で、人生に意味を見出せず生きている姿と、過ごした年月に対し徒労感を覚えていることが伺える歌詞が印象的です。
激しい雨に打たれるような生活に耐え、前に進んだはずが誇れるものや拠り所になるものはなく、過ごした年月に意味を見出せない、そんな主人公の抱える葛藤が表現されています。
八月になる度に思い起こされる戦争と、戦後この国を支えてきた産業である日本車が燃やされるニュースから、過去の過ちに対する償いに主人公が無意味さを感じていることが伺え、自分達が受けた被害の歴史と、諸外国にしてしまった加害の歴史、その両方を認識して初めて本当の意味で平和を訴えることができるのだと、そういったメッセージが込められています。
勝者も敗者もなく何も生み出さない戦争と、一向に良くならない自分の生活を重ね、痛みも感じない程に戦いに没頭することに疲弊し限界を迎えている。
1986年といえば、一般的にバブル景気の始まった年とされ、日本の景気が良く明るい未来に突き進んでいた時期です。
そんな時代に、八月の歌など日本の現状に一石を投じる曲を含むアルバム「J.BOY」を発表しオリコンチャートを席巻する点に、省吾さんの凄みが感じられます。
アルバムを通して伝えているメッセージは現代日本にも通じるどころか、今になって更にリアリティを増しているものばかりであり、省吾さんの楽曲には物事の核とも言える真実が含まれており、その点が色褪せない魅力となって時代を超えて愛される一因となっています。
歌詞の魅力 考察
1986年は高度成長時代末期である日本の黄金期バブル経済の始まった年で、給料も土地価格も上がり、誰もがジャパンアズナンバーワンを信じていた時代だったのだと思います。
そんな中で、一見すると華々しくも、金やモノに目が眩み大切なモノを見落としたまま暗い未来に突き進んでいる日本に警鐘を鳴らした省吾さんはやはり偉大だと感じます。
マスメディアが国が豊かだとどれだけ叫ぼうと、自分の暮らしは一向に変わらない、そんな心境を叫ぶ姿は、今の時代にも通じるどころか、令和の現代を表しているように思えてなりません。
また、八月と切っても切り離せない戦争に関しても、各国が自国優先主義に傾きロシアがウクライナ侵攻を実行に移すなど各国が緊張感を強める一方で、戦争を知らない世代が大半を占める現代日本においては、この歌詞が更に重要な意味を持つように思います。
また、日本は敗戦国であり加害者でもあるという事実と共に、戦争の不毛さを思い起こさせてくれます。
人生において、勝者も敗者もいない終わり無き戦いをどう生き残るか、ひとりひとりが考え答えを出す必要があると深く考えさせられる名曲です。
また、同アルバムを代表するタイトル曲でもある「J.BOY」については以下エントリでまとめていますので、是非合わせてご一読下さい。
J.BOY 歌詞の意味・魅力考察 浜田省吾
最後に
最後までお読みくださりありがとうございます。
省吾さんの歌は、社会の置かれた状況とそこに生きる人の心境や葛藤を詩的で比喩的な歌詞に乗せ、聴く人の心に訴えかけるメッセージを伝えている点が特徴です。
そこに込められている普遍的なメッセージや祈りが聴く人の心を動かし、長年に渡り愛される名曲となり、多くの人に愛され聴き続けられています。